条里制遺構のお話


条里制って?昔の制度?遺構って?はてはて、、
ちょっとだけ読んでみよう


条里制と遺構について

市内の条里制遺構                                                                          

        
     いにしえ
 春日井市は古の春日部郡の東部を占める。
 市のほぼ中央部、国鉄春日井駅前に昭和49年「条里制遺構之標」なるささやかな石標が建てられた。
その裏面に「この地点を通る東西の一線は近世の関田・上条両村の村界でかつ往古の条里制春日部郡第十四・五条の境界線である。云々」とある。 この石標より約百綻西の地点−今は無いが割塚という塚の中に、この地方の条里利地割測量の基点が
あったと認められる。この塚名の名残、旧字割塚に東接して十七という字があった。これはこの里の第17坪の名残であろう。東方、内津川の堤下より駅に向って走る高貝用水路はこの条界線上に現存しており、この一線のみは不思議と遺る、このあたり唯一の遺構である。

 県道和示良線(かにら)によって断ち切られた大日山−お渡所より南、西は地蔵川にいたる穀倉地帯には嘗ては美事な条里制の遺構が存在していたが、或は陸軍工廠の急設により、或は区画整理によって消滅し、僅かに小野小学校の南約二百胆茲寮依未了地区、十八条石河田里の一部に、今なお古来の坪割をなす道路・水路と、後世に細分された畝歩割とが整然と混在している様を見ることができる。

 今回、下条土地区画整理組合によって、新設の西津公園に遺構の懐古碑が建てられた。
 この碑の北約百叩中部中学校々庭に南接する市道の南路肩あたりを東西に延長した線は昔の上条・下条両村の村界であるとともに第十六・七条の界線であった。上条・下条とは柏井荘をこの線で二分した呼名であろう。

 康治二年1143、安食荘についての古文書によれば、当時の安食荘は春日部郡に属し、矢田川古流の南岸が第二十条。この南限に並んだ各里の西部、小稲里(名古屋市稲生町)の東畔が西限。以下この古文書に基いて要点を略記すれば、庄内川の北、十人条より当市域に入り、味鏡里(東北の一角が当市中新町の一部)、水分里(南部は名古屋市)賀智里・頸成里・馬屋里・石河田里の六里が並ぶ。石河田、小野道風の伝承地・観音寺に東接し北方に直進している古道が里界線址−が安食荘の東限。賀智里のカチは勝川に通じ、イシカワダ・マツカワドは語呂が相似ている。

 十七条の町原里は味鏡里の北に接し、安萌里は頸成里の北に続く台地上に在る。
 十六条には水分里の北、一里飛んで馬賀里がある。安食荘の北限である。味○原−後の味美村の中央部に相当する。ウマヨシ・アジヨシも語呂が似ている。安萌・馬賀のあたりは水田は無く、主として草生地であったらしい。狩猟・放牧などの適地であったか。

 延書式内の古社、牛山の片山神社は十条に、田楽の伊多波刀神社は九条に現有している。伊多波力神社のあたりを広く南条と云い、その北方を北条と呼ぶは、八・九の条界線を以ってするこの地方での区別てあろう。
 先年、小牧市域の古窯跡より「多楽里」とある古瓦が出土した。田楽は多楽の名残か。

 更に北進して春日部郡の第一条の北限は昔の味岡荘の久保一色(小牧市)の北、古墳青塚(犬山市)あたりの一線と比走される。 古い地籍図を並べてみるに、白山村の小針・沖中・大曲。庄名村の東ノ坪・東畑・神明前・水田。神明村の長筬・神明前。松本村の上条坊・下条坊。出川村の長・三反田・北坪・米田・榎坪。大留村の井高上・井高下・大門・中筬・茨ノ木・四反田・五反田松ノ木下・樋田などに不完全ながらも百段進ほどの正方形らしいものが散在している。これ等を縦横にたどり整頓しながら線引きを試みれば井然たる条里制の坪割となってあらわれる。

 気噴村の井高川の西に三ノ坪、東に黒坪という字がある。両字は共に第十一条に位し、偶々井高川の線が里界をなし、割塚の基点の南北の里界線より六本目、三ノ坪は西の里の第3坪、黒坪は東の里の第29坪を含んでいる。クノツポをクロツポと訛るところは少くないが、ここでは29ノ坪をクロツボと略称している。

 神領村以西は洪水に因るか遺構は大きく乱れている。更に東部および北部の丘陵地帯の古い村々の狭間などについては資料に乏しく、遺構の跡は定かではない。

 天養元年1144「春日部郡東条」の地を以って篠木荘が設定された。同荘は後世のいわゆる篠木三十三ケ村にわたる広大な荘園にして、その西限は現在の西山町あたりとされており、この地区には条里制の名残とおぼしき、丁田・四反田・八反田などという地名がある。

 なんのへんてつもない、崩れ易い土で出来ているこのような構造物であるから、或る部分はいつしか跡方もなく崩れ去ったが、或る部分は千有余年の年輪を重ねながら、久しきにわたって生きて来た。まことに奇らしい、特異な歴史上の遺産である。これを顧みをとき、各種各面において各様の、いつしか忘却されている教訓までも呼び覚してくれる。

 近時、市街化・土地改良の波にきらされて遺構の命脈も、まさに尽きようとしていることは、まことに感深いものがある。

梅 村 勝 利 (市文化財保護委員)



条理制とは、古代の土地区画制度。六町(約654メートル)四方の区画を里と呼び、里を東西に連ねたものを条と呼ぶ。里をさらに一町四方に区画したものを坪と呼ぶ。
遺構とは、古い建造物で今日にその一部が残っているもの。

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