春日井駅誕生の秘話


春日井駅ができるに当たっては、こういう裏話がありました

ムラの生活
請願駅「鳥居松」
          
はじめに
 明治三十三年(一九〇〇)七月二十五日付官報に逓信省から、「本月二五日より中央線名古屋多治見開運転営業を開始す」と告示され、旅客と貨物の営業が始められた。その時は現春日井市域内での駅(停車場)は、勝川と高蔵寺の二つであった。しかも、どちらの駅も当初の予定地は住民の反対で変更を余儀なくされ、現在地に開駅したものである。その理由の主なものは、陸蒸気(汽車)が発着すると危険だ、駅を造ると耕地が減る、見知らぬ乗降者が増えると風紀が乱れるなどであった。
 ところが、年月を経るにつれて駅の重要性、経済効果が認識されると、駅に遠い住民の間にこの二つの駅の中間地に新しく駅を設置する運動が起きるようになった。ここでは、最初に実現した鳥居松駅(昭和二十一年春日井駅と改称)の請願運動の経過と記録をたどってみることとする。中央線開通当初の駅設置反対の気運が、二十年も経ずして全く逆の請願に変わった時勢の推移は驚くばかりである。

 二 請願運動の概要

 勝川・高蔵寺間の上条裏に停車場新設請願の動きは、大正九年(一九二〇)頃から台頭、上条の林長三郎をはじめ鳥居松の林鈞平、長縄庄右衛門、伊藤十治らが発起し、両駅乗降客中、中間駅の開設を望む者の増加を累年調査し、上願書を用意していたところ、同十三年になって堀ノ内裏(現神領駅)に信号所新設の測量が始まったことから、運動を急ぐこととなり、同十四年七月十一日、上条、関田、町割の有力者三十五名が集合協議し請願運動に本格的に乗り出すことになった。次にその経過の主なものを書きつづることとする。

大14・7・11 
関係者が参集「鉄道停車場新設期成同盟会」をつくり、林長三郎を代表に請願著名の取りまとめに奔走する。

大14・7・17
 隣接町村長の副申書調印を得て、名古屋鉄道局長に請願書を提出する。

大14・8・12
 停車場用地に当たる各地主の承諾の印をまとめる。

大14・8・18
 丹下代議士、岡崎・樋口両県議の同道を得て鉄道局長に哀願する。
 鈴木部長・県内務部長の同意を得る。

大15・6・18
 鉄道局より敷地千五百坪を無償提供するようにの通知あり。

大15・6・25
 前記敷地を含め用地四千五百坪を無代にて、三大字(上条・関田・町割)が寄附することを決議する。

大15・7・18
 埋立て用土砂一万坪を無代提供することを決める。

大15・10・18
 丹下代議士より決定の祝電が届く。

大15・11・29
 鉄道大臣より新停車場許可書を受ける。各大字の寄附金(各七千円宛)総代会で決定する。

大15・12・2
 代表者林長三郎名にて、鉄道大臣へ敷地全部を寄附する証書を提出する。

大15・12・7
 鳥居松村長、篠木村長に幾分の寄附金を申し込む。

昭2・4・28
 実地確定、枕木打ち込みを始める。作業は十数日かかる。

昭2・5・1
 敷地は同盟会にて、一反当たり千五百円で買い上げることを決定する。

昭2・5・14
 地鎮祭を執行する。

昭2・8・3
 三大字寄附金合わせ二万一千円を拠出する。

昭2・11・25
 駅前道路工事完成、林長三郎特別寄附金一千円拠出する。

昭2・12・16
 開通式挙行、上り一番列車より停車する。当日祝賀会余興として町割より、花煙百数十本、 手踊り、角力(相撲)、音楽隊、提灯。関田より、棒の手、消防隊警備。上条より、撃剣、 提灯行列。来賓、高等官九十七名、村長、村会議員、有力者九十五名、取持ち五十名余、 余興見物大勢にて大混雑した。
  同日駅構内及び内津川堤防に桜の苗木を植えた。また、開通式高等官来賓費用の内三百 五十円を林長三郎、澤田巳一郎が寄附した。ただし、請願者負担の山ノ前用水路変更の件 と電柱切替の件については、運動の結果当局に於いて工事を行った。

昭2・12・17
 林長三郎、伊藤十治の両人は名古屋鉄道局に出頭、昨日諸賢官の御来場の御礼挨拶をした。鳥居松初代駅長は、小田木國太郎であった。なお、事業日記によると、運動に着手以来、鉄道局に出張した回数は二百十九回、県土木課、登記所その他が百二十三回で、その中林長三郎は百八十五回にも及び、集会、協議、打ち合わせは数知れず、請願運動の長期にわたる辛苦の足どりをうかがい知ることが出来る。

 次に、同年六月十五日付会計報告書の内容も、請願駅の実態を知るには、よき参考になるもので概略を転記しておく。

収入の部(円)
21,000 三大字寄附金
100 商工会 〃
500 篠木村 〃
300 鳥居松村〃
30 林長三郎より受入金
20 開通式祝儀
20.20 雑収入
350 来賓接待費
(杯・澤田寄附)

支出の部(円)
18,750.99 駅敷地代金
  380  駅前道路工事金
 521.89 山ノ前道路工事金
  138.74 踏切工事金
 70  請願負担工事金
 1.60 駅前伏込土管代
1,240.29 諸雑費
       (以下略)

 三、代表者 林長三郎(明治3−昭和20)

 上条町二ノ一三七の生まれで、郷土の発展と公益の増進に情熱を傾けると共に、深く神仏を信仰して、伊勢参りをはじめ、西国・四国・秩父坂東巡拝など、折にふれて回を重ねていた。
 氏の著書に「私の一生の中でも鳥居松駅開設については、なかなか進捗せず一時は到底出来そうもないと思われた。そこで、私は只管神仏の御加護を祈りつつ極力その運動に努めたので、とうとう大正十五年十二月に至り許可の指令を得ることが出来た。これ偏に神仏の御加護のたまものなりと、その功徳を悦び謝恩の意で氏神和爾良神社に玉垣、狗犬、灯篭等を奉納し、更に鳥居松駅前に弘法大師の御尊像並びに、御こもり堂の建立を発願した。」とある。
 この尊像は、今も春日井駅前の大弘法として近隣の信者のお参りがたえない。尊像についての次のようなエピソードを紹介しておきたい。建立の発願にあたっては玉野川(庄内川)の清流から一寸(三・三センチ)ほどの小石を百万個拾い集め、その一つひとつに 「南無阿弥陀仏」と墨書して像の中に納めることとした。昭和二年から七年までかかって三十八万個余りを仕上げ、残る六十万個余りは、村内の善男善女に依頼した。そのお陰でこの小石をもって基座とし、三十三尺(十メートル)の大弘法大師を建立でき、同七年三月十五日開眼式が盛大に挙行された。
 このことについては、上条町の八十歳以上の老人に尋ねたところ、子どもの頃おばあさんのかわりに墨をすって小さな字を筆で書いた鍵見えがあると、なつかしそうに語られた。
 終わりに氏の自著「旅の友」歌集から、鳥居松駅、大弘法にかかわる三首を書き添えよう。
 天地に喜びの声みちわたり
       にぎわい更かす鳥居松駅
 美しき玉の川石えりあつめ
       南無阿弥陀仏かくぞ嬉しき
 ありがたや慈悲たれたまう御大師の
       御像高くおがむ今日かな

伊 藤 浩 (市文化財保護審議会委員)
(郷土誌かすがい55号 P6 H11/9/15)

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